何がそんなに楽しくて

大学生が書く日記代わりのブログです。お手柔らかに。

レポートの供養

 どーもこんにちはヨツコブです。深夜テンションでおかしくなっているのもありますが、先ほど教授に提出したレポートをここに供養します。

 

なぜ「供養なのか?」

 

成績の評価対象外だからです

 

馬鹿だなって思ったでしょ?そ・れ・な☆

なぜ書いたのか自分でもわかりませんが、授業後教授と雑談してたら褒められて図にのったというのが正直なところです。深夜テンションでやってるので明日には消してるかもしれません。考えも未成年の未熟なものですし、期限ギリギリで出して、文章もおぼつかないから。。

物性のレポもあるので今日はこれで。以下当該レポ。

 

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 私は哲学的な考え方に疎いもので、最近死に関する哲学書を読んで勉強しております。そこで抽象的な「教育とはかくあるべき」という話ではなく、もう少し具体的な制度や教育方法に関して、未熟ながら現時点での自分の考えを述べさせて頂こうと思います。
私の教育に対する考え方は、やはり自分自身がこれまで受けてきた小中高の教育環境に根差す部分が多いです。私の出身校は私立で中高一貫でした。そのためか、比較的多様な教育システムを取り入れていました。iPadを使ったプレゼンテーションや研究発表の資料を設けたり、東京の会社に事前にアポを取りその実態調査を一から生徒に委ねるなどといった5教科以外の「課外授業」に力を入れているように感じました
 

 そういった教育を受ける中で、生徒に自主性を求めていることに私は気づきました。先に述べた「課外授業」は基本的に全て、生徒が一から計画して実行し、それを振り返らせる、という過程のもと自主性が育まれていたのです。僕はこの自主性を育む活動こそ本来の教育の根底にあるべきものだと思っています。しかし今の教育制度は要求されたことが高いレベルで再現できる人、単に頭の良い人に需要がある社会に応じて一元的な価値判断位よって、生徒を評価し、それを教育と呼んでいる気がしてなりません。そのために各教科で教えられたことを理解し、問題を処理する生徒が育てられているように、他の大学生と関わり合う中で感じました。確かにそう言った能力は重要ですし、それを評価するのも最もですが、それだけを評価してしまうことが問題だと私は思います。

 

 よって私は生徒の自主性を育て、自由に個々人の特性を活かす教育を目指すべきだと考えます。今現在の教育は短絡的な、社会人生産の場でしかないとすら思います。それを打破すべく個々の強みを活かす教育こそが、自主性の養育です。自主性を育む形の教育システムには現在の教育で生じている問題を緩和することが可能だと思います。まずは多様性の尊重です。これは憲法26条の「その能力に応じて」という条文に最大限寄り添うことができると考えます。先に述べたように、現在の教育はテストによる一元的な評価を行い、それがよしとされています。しかし、これでは、個人の多様性が尊重されているとは言えません。人それぞれ向き不向きがあります。それは自明のはずですが、勉強が苦手な人にはかなり不利な状況になっているのは現状です。たとえ彼らに勉強以外の強みや可能性があっても、それを育み、評価するシステムがなければ、彼らの良さを伸ばすことも活かすこともできず、傷つけてしまうだけです。実際にこれは科学的に証明されている事実であります。一卵性双生児や二卵性双生児の比較から遺伝の影響を調べる行動遺伝学では、認知能力のうちIQに相当する一般知能の77%、論理的推論能力の68%が遺伝によって説明でき、環境の影響が大きいのは(親が子どもに言葉を教える)言語性知能(遺伝率14%)だけだとわかっているのだそうです(安藤寿康『遺伝マインド』有斐閣)。現在の教育が障害を持った人々の教育とそうでない人の教育とを全く同じシステム・環境で行っていれば、平等権侵害の観点から違憲という判断がくだされかねません。この能力の差も教育のあり方によって埋めるべき溝であり、自主性の涵養にはそれが可能だと思います。
 

 次に挙げられる、この教育手法のメリットは人材の発掘です。これまでは勉強ができる・テストができる人が優秀とされてきました。ところが、それでは測れないものの、素晴らしい能力や特徴を持った人を見出すことが困難でした。見出すのが困難というのは、そういう能力があることがわかっていても、評価することもその能力を伸ばすこともできないという意味にとどまらず、自分が夢中になれるものを発見できていない人がそのまま放置されてしまうという意味も含有しています。自分が夢中になれるものを見つけ出せることは非常に難しく、自主性を育むことによっても必ずしも成し遂げられるものではありません。しかしながら、そういった人が持つ可能性を主体的に学び行動することによって、様々な世界や価値観に触れる中で受け手側が掴みやすくなることは確かです。
 これまではかなり幅広い利点について書きましたが、それ以外にも伝え方やコミュニケーション能力、課題解決能力の向上など座学では身につきにくい能力の育成にも一役買うと考えています。
 本来国によって行われる教育とは、国を支える将来の人材を培っていく役割が少なからずあるはずです。未来を作るのは現在教育を受けている、彼ら自身だからです。現在の教育はそれどころか、個人の自由や可能性すら制限してしまっています。それを解決する手立てとして今私が考えるのが、この「自主性の涵養」を基盤とした教育です。

今日の授業中にこのレポートの存在に気づいたこともあり、文章や主張の根拠など様々な点でお見苦しいことがあると思いますが、一読していただければ幸いです。提出期限に間に合わせようと具体的な手段や根拠の説明などが足りず、文章として不十分だとは思いますが、ご了承ください。またお忙しい中大変恐縮ですが、先生の意見もご拝聴できれば嬉しいです。来週の講義も楽しみにしております。

・参考文献
安藤寿康『遺伝マインド』有斐閣

 

 

次回は真面目っぽくないのにしますね。それでは今日はこの辺で。